大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成7年(ワ)13271号 判決

原告

小川進吾

右訴訟代理人弁護士

内藤篤

清水浩幸

被告

加藤一郎

右訴訟代理人弁護士

長谷川健

藤勝辰博

被告

選択出版株式会社

右代表者代表取締役

飯塚昭男

右訴訟代理人弁護士

庭山正一郎

浅岡輝彦

上床竜司

主文

一  被告選択出版株式会社は原告に対し、金一〇万円及びこれに対する平成七年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告選択出版株式会社に対するその余の請求及び被告加藤一郎に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、被告加藤一郎に生じた費用を原告の負担とし、その余の費用はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その一を被告選択出版株式会社の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告加藤一郎は原告に対し、金七〇〇万円及びこれに対する平成七年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告加藤一郎は、原告に対し、別紙目録一1記載の内容の謝罪文を提出せよ。

三  被告加藤一郎は、別紙目録一2記載の内容の文書を別紙目録一3記載の各人に対して送付せよ。

四  被告選択出版株式会社は原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成七年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

五  被告選択出版は、その出版にかかる月刊誌「選択」上に一回、見出しと氏名は二八級活字を用い、本文は一四級活字を用いて別紙目録二記載の謝罪文を掲載せよ。

第二  事案の概要

一  本件は、音楽祭の開催等を目的とする財団法人サイトウ・キネン財団の常務理事であった原告を財団屋と称し、原告が右財団法人を私物化したなどとする記事が月刊誌上に掲載され、また、右財団法人の理事長が、他の理事や評議員らに対し、原告には寄附行為に違反し役員にふさわしくない行為があるとする文書や、右記事の写しを送付したことから、原告が、右財団法人の理事長(被告加藤一郎)及び右月刊誌の出版社(被告選択出版株式会社)に対し、名誉毀損等を理由とする慰謝料及び名誉回復の措置としての謝罪文の掲載・送付等を求めた事案である(遅延損害金の起算日は訴状送達の日の翌日)。

二  争いのない事実等(証拠により認定した事実は末尾に証拠を掲げた。)

1  当事者等

(一) 財団法人サイトウ・キネン財団(以下「訴外財団」という。)は、平成四年五月一日に文部省から設立許可を得て設立された財団法人であり、その目的は、日本国の交響管弦楽及びオペラ等音楽的総合舞台芸術の普及振興を図るため、サイトウ・キネン・オーケストラによる音楽祭を開催するとともに、音楽芸術の国際交流を図り、もって日本国の創造的音楽芸術活動の発展に寄与することであるとされている。そして、訴外財団は、平成四年以降、毎年九月ころ、長野県松本市において、「サイトウ・キネン・フェスティバル」と称するサイトウ・キネン・オーケストラの演奏、オペラの上演、その他各種の音楽的催しを主とする音楽祭を主催者として挙行している。

(二)(1) 原告は、訴外財団の設立とともに常務理事に就任し、平成五年六月三〇日に再任され、平成七年六月二九日までその任期を有していた者である。

(2) 被告加藤一郎(以下「被告加藤」という。)は、右財団の理事長である。

(3) 訴外財団において、理事長は、同財団の業務を総理するとともに、同財団を代表し、常務理事は、理事長を補佐し、理事長に事故あるとき又は欠けたときは、理事長の職務を代理し、又はその職務を行うものとされている(甲一)。

(三) 被告選択出版株式会社(以下「被告選択出版」という。)は、月刊誌「選択」(以下「「選択」」という。)を出版する会社である。

2  被告選択出版は、「選択」平成七年五月号において、「マエストロ小澤の夢と現実」と題する記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。右記事は、「足引っぱる財団屋」との小見出しのもと、原告を「O」と表示した上で原告を「財団屋」と呼び、「Oは自分の身近な人物に、自分が集めることのできた金額にはまる予算を無理矢理作らせて、小澤に計画変更を迫った。」、「このような財団屋に設立を頼んでしまった小澤は迂闊だったし、不運でもあった。スタンダードの高い芸術の達成をひたすら追求する音楽家の理想に全く耳を貸そうともせず、逆に、財団設立のエキスパートとして保身にばかり汲々とするのがOの正体であった。」、「すなわち、財団(=O)が外部アーティスト、団体への支払いを意識的に行わなかったのである。……小澤とサイトウ・キネンの理念に共鳴した複数の企業の拠出金を、芸術的な理念も夢も持たない一常務理事がいわば私物化したわけである。」、「口先で芸術文化支援ときれい事をまき散らしながら、関係省庁との様々なパイプを利用して理念なき財団づくりをビジネスとする財団屋が跋扈するかぎり、小澤が日本で集中して音楽活動を行う真の機会は訪れないだろう。」等との内容であった。なお、「選択」は、一般の書店での店頭販売は行っておらず、予約購読者に対し直送するという方法で頒布されている(乙四、一九)。

3(一)  平成七年三月ころ、訴外財団における同年度の事業計画・収支予算に関し、評議員会及び理事会の日程についての伺い書が訴外財団の各理事、監事及び評議員に送付された。

(二)  同年四月ころ、被告加藤は、同年六月二九日の原告の任期満了を機に、原告に対して理事を辞任するよう要請し、理事会及び評議員会の開催を求めて原告と話し合ったが調整がつかず、原告は、右評議員会及び理事会で自分が再任されないおそれがあるとして、同年四月一二日ころ、同日付けで、「加藤理事長は、次年度以降の法人の運営を現体制で円満に遂行する意思がないことを表明して行動を起こしたが、このような状況の下では、理事会及び評議員会を開催しても混乱に陥る危険があるので、理事会及び評議員会を四月に開催することは断念したい」旨の「理事会・評議員会の開催延期について(お知らせ)」と題する書面を各理事及び評議員に送付した。

(三)  これに対し、被告加藤は、同年四月一四日ころ、同日付けで、同月二四日開催の評議員会及び理事会についての招集通知を送付し、その際、右通知に添えて、同日付け「理事会・評議員会の開催について」と題する文書(以下「本件文書」という。)を原告を除く訴外財団の理事一一名、幹事二名及び評議員一六名に送付した。被告加藤は、右文書において、「理事長(被告加藤)としては、理事会及び評議員会を四月二四日に開催する予定でいるが、原告が反対し、同月一二日に両者の意見調整を行ったが意見対立のまま分かれた。その後、小川常務理事(原告)は、理事長(被告加藤)の意思に反して、『理事会・評議会の開催延期について』なる文書を四月一二日付けで役員及び評議員に送付したが、これは、予算と決算二回の理事会及び評議会を予定している上記の寄付行為に反するだけでなく、『常務理事は理事長を補佐し……』とする寄付行為一七条二項に違背し、『職務上の義務違反その他役員たるにふさわしくない行為があると認められるとき(二一条二項)』という、役員の解任事由にも該当する行為といわざるを得ない」旨指摘した(以下「第一行為」という。)。なお、右評議員会及び理事会における議決事項には、平成七年度の事業計画、特別会計の収支予算、平成七年度のサイトウ・キネン・フェスティバル実行委員会の設置等の議決事項のほか、理事会については平成七年度の理事長及び常務理事、評議員会については同年度の理事及び監事の選任についての議決事項が含まれていた。

(四)  その後、原告は、「加藤理事長は……当職(原告)としては既に心身の故障により職務の執行に堪えないと認め、当職(原告)が理事長代行を務める」との記載がなされた同年四月一七日付け原告作成文書を各理事及び評議員に発送した。さらに、原告及び訴外財団の監事である石川道雄弁護士(以下「石川弁護士」という。)は、右理事会及び評議員会の召集手続の適法性に疑問を抱き、同月二〇日ころ、原告は、理事長代行常務理事の肩書きで、石川弁護士作成による同日付け「意見書」を各理事及び評議員に送付した。

(五)  しかし、同月二四日、理事会及び評議員会は開催され、評議員会において、任期満了に伴う平成七年六月三〇日付けの理事及び監事の選任決議がなされたが、原告は理事に再任されないことになった(乙一八)。

(六)  その後、被告加藤は、右理事会及び評議員会の正当性を主張するため、前記意見書に対する反論として、同年五月二日付け「理事会・評議員会の正当性について」と題する書面を送付するとともに本件記事の写しを併せて各理事及び評議員に送付した(以下「第二行為」という。)。

(七)  なお、原告及び石川弁護士は、右(五)の決議の無効確認等を求めて、東京地方裁判所に訴えを提起したが(東京地方裁判所平成七年(ワ)第九二五二号事件)、平成八年一〇月三日、右請求を棄却する等の判決がなされた(乙一八)。

三  争点

1  被告選択出版に対する請求について

右当事者間の主たる争点は、(一)被告選択出版が本件記事を掲載した行為は原告の名誉(名誉感情を含む。)を毀損するか否か、本件記事の内容は公共の利害に関し、右記事の掲載には公益目的が存し、右記事に摘示された事実は真実であるとして右行為の違法性を阻却するか否か、また、本件記事において原告を論評した部分は、公正なものといえるか否か及び(二)損害の有無・額である。

右争点についての当事者の主張は、以下のとおりである。

(原告の主張)

(一) 原告は、誠実に常務理事としての職務に専心してきたが、前記二2で特定された本件記事の内容は事実に反するものであり、本件記事により原告の名誉ないし名誉感情は毀損された。

(二) 被告選択出版の主張に対する反論

(1) 原告は公務員や著名人でもなく、また、本件記事は犯罪についての報道を行っているわけでもないから、本件記事の内容は公共の利害に関するものとはいえない。

(2) 公益目的については、その表現方法や事実調査の程度などがその具体的なメルクマールになるが、仮に、本件記事が公共の利害にかかわる事実の報道だとしても、被告選択出版が本件記事の主要なテーマであるとする芸術家と予算執行者との対立について、原告を「財団屋」とこきおろしたり、財団を「私物化した」などと非難する必要もなかったはずである。さらに、事実調査の点についても、攻撃対象となる人物の反対取材を行うのが取材の常道であるのに、被告選択出版は原告への取材を怠ったのであるから、本件記事の掲載に公益目的が存しないことは明白である。

(3) 原告と訴外財団に関する事実経過等は以下のとおりである。

① 小澤征爾(以下「小澤」という。)は、昭和五九年からほぼ一年に一回のペースでサイトウ・キネン・オーケストラの公演を開催していたが、平成三年ころ、サイトウ・キネン・オーケストラの活動を恒久的なものにすることを計画し、その財産的基盤となる財団設立のための寄付金集め、財団設立の手続、設立に至るまでの諸官庁との折衝等を原告に依頼した。小澤は、それまで、オペラを日本で定期的に開催するための資金を後援する団体を作ろうとしたが、二度にわたり失敗しており、そこで、原告を資金集めと財団設立についての有数の実務家と見込んで右依頼をしたものである。小澤は、原告に対し助力を乞い、オペラを行うには六億円程度の資金が必要であるとしていたので、原告は、そのためには一〇〇億円程度の寄付金を集めて、五、六パーセントで運用しなければならない旨の発言をしたのであって、原告自らが、小澤に対し、自分は財団設立のエキスパートであり、文部省等の官庁にも顔が利くと称し、寄付金を一〇〇億円集めて、年六パーセントの利率で運用すれば年間六億円の活動費用を捻出できると豪語するようなことはなかった。

② その後、原告の努力により合計一二億円ほどの寄付ないし寄付の確約をとりつけたが、いわゆるバブル経済の崩壊と時期が重なり、一〇〇億円という金額には届かなかった。その後、平成四年のサイトウ・キネン・フェスティバルの開催が迫り、原告は資金捻出のために奔走した。その結果、訴外財団の理事を輩出している五、六社から向こう三年間で各二〇〇〇万円ないし三〇〇〇万円ほどの寄付、フェスティバルの開催地である長野県及び松本市から合計二億円の負担金支出、文化庁の芸術文化振興基金から二〇〇〇万円ほどの助成が受けられることになり、これと興行収入等と併せて合計約四億円程度が確保される見通しとなった。そして、支出については、渡辺恭子がその方面のエキスパートなどを通じて予算の洗い直しを行ったところ、四億円程度で小澤の目指す舞台が実現可能であるということになった。原告は小澤に右予算案を提示したが、財団の資金でオペラを行う以上、予算面からの制約を免れることはできないのであり、小澤はそのことを当然に理解していなければならない。小澤が右提示を受けた上でオペラ開催を実行することを選択した以上、四億円という予算を受け入れたことになるのである。なお、原告が音楽祭開催で赤字を出したら文部省に顔向けができない旨の発言をしたのは、文化庁から予算の一部につき援助を受けている以上当然のことである。

③ 被告加藤は、財団設立によくある話しとして、世間的に著名な人物を名誉職に据えるといった意味合いで理事長に就任したのである。

衣装のデザイナーに対する報酬の支払いを停止し、また、航空会社に対するチケット代の支払いも停止したことは認めるが、いずれも、小澤が、予算執行者である原告の承認もなく予算を上回る支払いの約束を行ってしまったことに起因する。

(三) 損害について

本件記事の内容は事実に反するものであり、被告選択出版は、この種の記事作成の際の常識である反対取材を全く行わず、その真実性について慎重な検討を経ることなく、原告の名誉を侵害する一方的な内容の本件記事を安易に掲載したのであるから、その違法性は重大であり、被告選択出版が本件記事を掲載したことにより被った原告の精神的損害を慰謝するには一〇〇〇万円が相当であり、かつ、被告選択出版に対し、同被告の出版する月刊誌「選択」に別紙目録二記載の謝罪文の掲載を命ずるのが相当である。

(被告選択出版の主張)

(一) 本件記事について

本件記事は、高名な指揮者である小澤がサイトウ・キネン・オーケストラを音楽活動の拠点として芸術レベルの高い音楽活動を行うとしていたにもかかわらず、サイトウ・キネン・オーケストラの財産的基盤となる訴外財団の運営方針について小澤と訴外財団の常務理事である原告との意見が対立し、小澤の理想どおりの音楽活動を行うことができないことを主要なテーマとする記事である。本件記事中の「Oは自分の身近な人間に、自分が集めることのできた金額にはまる予算を無理矢理作らせて、小澤に計画変更を迫った。」、「スタンダードの高い芸術の達成をひたすら追求する音楽家の理想に全く耳を貸そうとせず、逆に財団設立のエキスパートとしての保身にばかり汲々とするのがOの正体であった。」という記述は、芸術家としての立場から高い質の音楽活動を行おうとした小澤と、財団設立のエキスパートとして自分が集めることのできた予算の範囲内でサイトウ・キネン・オーケストラの活動を行うことを主張した原告の財団運営に関する理念が全く異なっていたことを伝えようとしたものである。また、「すなわち、財団(=O)が外部アーティスト、団体への支払いを意識的に行わなかったのである。」という記述は、原告が自分が立てた予算の範囲内でサイトウ・キネン・オーケストラの活動を行おうとしていたことの具体的なエピソードとして掲げたものであり、「小澤とサイトウ・キネンの理念に共鳴した複数の企業の拠出金を、芸術的な理念も夢も持たない一常務理事がいわば私物化したわけである。」という記述も、小澤と原告の意見が対立し、原告が小澤の意見に反して訴外財団を運営したことを伝えようとしたものである。このように、本件記事は、高い芸術的理念を掲げる小澤と財団設立のエキスパートとしての立場から予算の範囲内で財団を運営しようとする原告との意見対立を主要なテーマとしたものであって、その表現方法がやや辛辣なものであったとしても、それは原告の訴外財団の運営方法に対する論評にすぎず、記事を全体として正しく理解すれば原告の社会的評価を低下させるものではない。したがって、被告選択出版が本件記事を掲載した行為は原告の名誉を毀損するものではない。

(二) 被告選択出版が本件記事を掲載した行為は、公共の利害に関するもので、その目的はもっぱら公益を図るためのものであり、かつ本件記事の内容は真実である。

(1) 本件記事は、公共性の高い財団法人である訴外財団の運営について、小澤とその常務理事である原告との間で意見対立がある事実を摘示したものであるところ、訴外財団は、公益法人であるのみならず極めて著名な音楽家である小澤の音楽活動の重要な財産的基盤であり、その運営については公衆の関心が高いと思われるので、本件記事の摘示した事実は公共の利害に関するものにあたる。

(2) 本件記事は、公共性の高い訴外財団の運営について、小澤と原告との間で意見対立があるとの事実を摘示し、訴外財団の正常な運営がなされていないことを論評することを目的としたものである。原告は、訴外財団の常務理事の地位にあったが、その限りでは公的存在であったから、被告選択出版が本件記事を掲載した行為は専ら公益を図る目的に出たものである。

(3) 本件記事は、以下の一連の事実を報道したものであり、その内容は真実である。

① 小澤は、昭和五九年からはほぼ一年に一回のペースでサイトウ・キネン・オーケストラの公演を開催していたが、平成三年ころ、サイトウ・キネン・オーケストラの活動を恒久的なものにすることを計画し、その財産的基盤となる財団設立のための寄付金集め、財団設立の手続、設立に至るまでの諸官庁との折衝等を原告に依頼した。原告は小澤に対し、自分は財団設立のエキスパートであり、文部省等の官庁にも顔が利くと称し、寄付金を一〇〇億円集めて、年六パーセントの利率で運用すれば年間六億円の活動費用を捻出できると小澤に語った。そこで、小澤は、平成四年に開催予定の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」という音楽祭(以下「本件音楽祭」という。)の開催費用を六億円と見積り、海外から大物オペラ歌手を招聘して公演を行うことを企画した。

② ところが、原告は、平成四年五月に訴外財団が設立された時点で約一五億円しか寄付金を集めることができず、約六億円の本件音楽祭開催費用を捻出することができなかった。そこで、原告は、自分の知り合いである渡辺恭子に開催費用を約四億円とする予算案を作成させ、小澤に対して、この予算の範囲内で本件音楽祭を開催するように要求した。小澤は、四億円の予算では小澤が求める質の高い音楽祭を開催することが困難であるため原告の要求を拒絶した。これに対して原告は、本件音楽祭開催により赤字を出してしまうと文部省に顔向けができないなどといい、自己の体面を保つことに腐心していた。

③ さらに、原告は、小澤の理念に共鳴する訴外財団理事長の意思に反して、本件音楽祭の開催中に小澤が特に精力を注いだオペラ公演に使用する衣装のデザイナーに対する報酬の支払いを停止し、また、航空会社に対するチケット代の支払いも停止したため音楽祭の現場は大混乱となった。

④ また、被告選択出版は、本件記事において、原告の財団運営方法について「財団の私物化」であり、かかる財団運営を行っている原告を「財団屋」と論評したが、一般に、報道機関が公共の利害に関する事項についての論評を公表した場合には、その論評を基礎付ける事実が摘示され、その事実が真実であれば原則として違法性を欠くのであり、本件記事は、原告が小澤の芸術的理想を理解せず小澤及び訴外財団理事長の意思に反して財団を運営していた事実を摘示し、その事実を評して「財団の私物化」あるいは「財団屋」と論評したものであるところ、被告選択出版が摘示した事実は真実であるから、右論評も違法性を欠くものである。

2  被告加藤に対する請求について

右当事者間の主たる争点は、(一)被告加藤の第一、第二行為は原告の名誉(名誉感情を含む)を毀損するか否か、(二)損害の有無・額である。

右争点についての当事者の主張は、以下のとおりである。

(原告の主張)

(一) 被告加藤の名誉毀損行為等について

原告は、各省庁、上場企業及び学識経験者などの間で、公益法人の運営につきわが国有数の実務精通者であり、公益法人の実務に関する第一人者として知られるものであるが、被告加藤の第一行為は、そうした原告に対して「財団不適格者である」という評価を下し、その社会評価を著しく侵害するとともに、訴外財団の設立者として、趣意書の起草、各企業を回っての出捐の依頼や折衝、主務官庁である文化庁との協議などを一人で責任を持って担当するなどその法人化に努め、右財団創設以来の貢献者である原告の名誉感情を著しく害した。また、第二行為については、既に被告選択出版により本件記事を掲載した「選択」が出版されてはいるものの、その読者層はそれほど広範にわたるものではないから、本件記事が訴外財団の理事等に個別に送付されることにより、被告選択出版により侵害された原告の名誉ないし名誉感情はさらにも増して毀損されることとなった。

(二) 被告加藤の主張に対する反論

原告が理事会及び評議員会の開催の延期に関する文書を送付したのは、訴外財団の手続ないし確立した慣行に反し適正を欠く被告加藤の行為を阻止するためであるから、原告の右行為は「常務理事は理事長を補佐すべき」とする寄附行為に反するものではなく、その他本件文書に指摘された寄附行為に該当することはない。

また、被告加藤の第一行為は、正当なプロセスを経ずに原告を常務理事及び理事の地位から排除するという違法な目的のためになされたものであり正当行為とはいえない。すなわち、原告は訴外財団創設以来の貢献者であるから、原告の理事再任を拒否するには、原告を交えた各理事及び評議員との実質的な話し合いがなされることや主務官庁である文化庁に対し再任拒否の理由等を開示し、その理解を得ること等が不可欠であるが、被告加藤は、このような正当なプロセスを経ずに原告を訴外財団から排除しようとしたのである。

(三) 本件文書及び本件記事の写しは、原告及び被告加藤を除く訴外財団の各理事および評議員等の特定人に宛てられて送付されたものではあるが、右各理事等は、日本を代表する大会社の役員や大学教授等、社会的地位が高く社会的影響力の大きい人物ばかりであるから、右送付が原告の社会的評価に及ぼす影響は多大であるといわなければならない。また、名誉感情の侵害は特定少数人に対してなされても成立するものである。

(四) 損害について

原告が被告加藤の第一、第二行為によって被った精神的損害を慰謝するには七〇〇万円が相当であり、かつ、被告加藤に対し、原告に対する別紙目録一1記載の謝罪文の提出及び同目録一2記載の内容の文書を同目録一3記載の各人に対して送付を命ずるのが相当である。

(被告加藤の主張)

(一) 被告加藤の第一行為について

被告加藤の第一行為は、理事会及び評議員会の開催についての原告の違法・不当な妨害を排除し、各理事及び評議員に、右各会を混乱なく開催するための協力を要請した正当行為であって原告の名誉を毀損しない。すなわち、原告は、訴外財団の常務理事であったが、財団関係者から、原告の財団運営は不明朗であり任期満了を機に勇退してもらいたいとの意見が被告加藤のもとに多数寄せられていた。そこで、被告加藤は、平成七年度の事業計画等の審議とともに、理事及び評議員の任期満了後の体制についても審議をする必要があると考え、理事会及び評議員会を召集した。しかし、原告は、自己が理事に再任されないかもしれないと考え、右各会の開催に強く反対し、理事長である被告加藤の意思に反してもっぱら自己保身を図る目的で、「理事会・評議員会の開催延期について(お知らせ)」と題する書面を右各理事及び評議員に送付し、理事会及び評議員会の開催を妨害したのであり、原告の右行為は、理事長を補佐する立場にある常務理事にあるまじき行為として寄附行為に定めた理事の解任事由に該当する。被告加藤の第一行為は、このような原告の妨害を排除して、理事会及び評議員会を混乱なく開催するために訴外財団の理事長の職責としてなされたものである。また、被告加藤が、原告の行為は常務理事としてふさわしくない行為であるとの考えを表明することは、原告の名誉を侵害しない。

(二) 被告加藤の第二行為について

原告は、平成七年四月一七日付け文書を各理事及び評議員に送付したが、そのなかで、被告加藤は心身の故障により職務の執行に耐えないとして、原告が理事長代行を務める旨記載し、被告加藤の権限を不法に奪取しようとし、また、同月二〇日付けで、理事長代行を名乗り、当時訴外財団の監事であった石川弁護士作成の意見書を送付するなどして、理事会及び評議員会の開催が違法であるかのような主張を行い、理事及び評議員を恫喝し、さらに、訴外財団の関係者に対し、理事会及び評議員会の決議は無効であり、右決議に基づいた財団運営に協力するものには損害賠償請求等いかなる災難が及ぶかもしれないという趣旨の文書を送付する等の嫌がらせ行為を続けた。被告加藤は、このような事態に対し、関係者の不安を除去するため、同年五月二日付け「理事会・評議員会の正当性について」と題する書面を送付し、その際、本件記事の写しを参考として同封したものであるが、被告加藤には原告の名誉を毀損する意思は全くなく、右行為は、訴外財団関係者に対し、今後予想されるマスコミ等による取材への対応を誤ることのないようにという注意を喚起する意味でなされたものである。

また、被告加藤は、本件記事の写しを理事及び評議員だけに送付したものであるから、公然性が一切ないことは明らかであるし、そもそも、既に頒布されている本件記事の写しを特定少数の理事及び評議員に参考資料として送付することは、その記事の内容いかんにかかわらず、名誉を毀損することにならないというべきである。

第三  争点に対する判断

一  被告選択出版に対する請求について

1  被告選択出版が「選択」平成七年五月号において、本件記事を掲載し発行したことは当事者間に争いがない。本件記事は、「マエストロ小澤の夢と現実 いずれは「拠点を日本へ」なのだが」との大見だしの後に、小澤が日本に活動の拠点を移したい旨考えていること、世界から考えられ得る最高の歌手、演出家、舞台装置家を招き、音楽面でも視覚面でも高いレベルでの上演に小澤が固執した上で、同人が平成四年にサイトウ・キネン・オーケストラが主体となる音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」を創設し、そこで上演されたオペラ「エディプス王」が好評であったこと等が記述され(甲四)、それに続いて、前述のとおり、「足引っぱる財団屋」との小見出しのもと、小澤が松本での音楽祭創設の直前にトラブルに巻き込まれたとして、小澤は「O」なる人物にサイトウ・キネン財団の設立を任せたが、「O」は、平成三年一月に「小澤先生の財団なら一〇〇億円は集めたいが、最低でも五〇億円は集まるでしょう」と豪語したものの、その後、その目標額も急落し、「O」の身近な者に自分が集めることの金額に見合った予算を無理矢理作らせて小澤に計画変更を迫り、このような財団屋に設立を頼んだ小澤は迂闊であり不運であったが、財団設立のエキスパートとしての保身にばかり汲々とするのが「O」の正体であったなどとし、また、平成四年五月にサイトウ・キネン財団は設立許可を得て、「O」は常務理事になるも、本件音楽祭開催中も財団外部のアーティストや団体への支払いを行わず、衣装デザイナーは衣装をすべて引き上げ、航空会社はブラックリストにサイトウ・キネンの名前を載せる準備に入ったことを指摘した上で、小澤とサイトウ・キネン(訴外財団)の理念に共鳴した複数の企業の拠出金を芸術的な理念も夢も持たない一常務理事がいわば私物化したわけであるとし、「O」は今でも(平成七年四月二〇日現在)訴外財団を運営しているが、このような口先で芸術文化支援等ときれいな事をまき散らしながら、関係省庁との様々なパイプを利用して理念なき財団づくりをビジネスとする財団屋が跋扈するかぎり、小澤が日本で集中して音楽活動を行う真の機会は訪れないだろうとの記述で締めくくられているものである。そして、右記事は、「O」すなわち原告が、理念なき財団づくりをビジネスとする財団屋であり、訴外財団の目的を理解せず、保身に汲々として自己の都合にあうように訴外財団を運営しているとの印象を一般読者に与えるものであると認められるから、原告の社会的評価を低下させるものであると認められる(なお、被告選択出版は、本件記事における「O」が原告であること自体は争っていないし、財団設立に深く関与し、訴外財団の常務理事であること、本件記事に記載された金銭トラブルの原因となっていること等から、訴外財団に関心を持つ読者には容易に「O」が原告であることは特定できたものと認められる。)。

2  そこで、本件記事の内容の公共性、掲載目的の公益性、摘示事実の真実性等について検討する。

(一) 本件記事は財団法人内部における紛争を取り上げているものであるが、訴外財団は公益法人であり、その主な活動は音楽祭の開催など広く一般に向けられたものであることから、訴外財団の社会的活動についての評価に関するものとして、その内容は公共の利害に関するものであるということができる。

(二) 証拠(甲七、一七、一八、二〇、二七、乙一、二、四、五、八、九ないし一二、一六、証人武井、原告本人及び弁論の全趣旨)によると、以下の事実が認められる(なお、末尾に認定に供した主たる証拠を掲げた。)。

(1) 小澤は、かねてから、恩師である斎藤秀雄の教え子を中心としたサイトウ・キネン・オーケストラの定期的な演奏とオペラの上演や国際的規模の音楽祭の開催とそのための財団法人の創設を計画し、そのために右財団の基本財産として五〇億円ないし一〇〇億円程度の資金が必要であるとの概算をし、演奏家への出演依頼等の舞台作りや撮影等について関係者とやりとりをしていたが、同人が他の財団の理事となることに関連して、当時既にいくつかの財団設立を手がけていた原告と知り合った。小澤は、平成三年三月ころから、原告に対し、国際的なレベルの歌手、演出家等による高水準のオペラの上演を中心としたサイトウ・キネン・オーケストラによるフェスティバルを平成四年の夏に行い、以後毎年そのような公演を行いたいと考えているが、そのための財団法人の設立に協力してほしいと依頼するようになり、同月下旬ころ、原告に対し、右フェスティバルには毎年六、七億円程度の資金が必要であると話したところ、原告は、その費用を金利で賄うとすれば一〇〇億円くらいを寄付金として集め、それを基本財産とする必要があるが、「小澤征爾」の名前を出せばそのくらいは、少なくとも五〇億円くらいは集まるのではないかと応じ、また、そのように努力をしてみると答えた。そして、そのころから、原告は、寄付金集め等の財産的基盤づくりと財団設立に必要な事務的な手続をすることを中心とした訴外財団設立の準備をすることになった(以上につき、甲一七、二七、乙一、証人武井、原告本人及び弁論の全趣旨)。

(2) 平成三年八月の時点における本件音楽祭の経費の見積総額は、六億五四三〇万円であった。その後、原告から財団設立の概要に関する案が例示されたが、これによると、財団設立後三年間で五〇億円の寄付金を集めるという計画であった。

(3) 平成四年一月ころ、原告に対し音楽祭の予算案が提示されたが、未計上のもの(広報関係の制作費、人件費の一部)を含めると六億円以上の支出になるとされていた。このころ、オペラにかかる額が高いとの原告の意見に対し、小澤の構想を実現するのであれば、この程度の費用がかかるとの説明がなされた(乙一、一六、証人武井)。

(4) 同年二月ころ、原告は、本件音楽祭にかかる費用の総額を四億八〇〇〇万円弱とした予算案を小澤や本件音楽祭実行関係者に示し、この額程度で本件音楽祭を実行するように求めた。

(5) 平成四年五月一日、訴外財団の設立がなされたが、右設立許可申請の際における訴外財団の予算は、一般会計(訴外財団の一般的な運営を行うための会計)の収入が四億〇九三二万余円で、うち三億五九〇〇万円が寄付によって賄われることとなっており、また、特別会計(サイトウ・キネン・フェスティバル運営に関する会計)の収入は五億九八八五万余円で、うち寄付金収入は三社及び一個人から一億一〇〇〇万円、協賛金収入は一億二〇〇〇万円の予定であり、支出は五億八三三〇万余円で、そのうち衣装費については制作費が一九五〇万円、デザイン料(報酬)として二五〇万円が計上されていた(甲二〇)。

また、同月中旬に開催された理事会において、被告加藤が訴外財団の理事長に選任され、また、平成四年度サイトウ・キネン・フェスティバル松本実行委員会が設置され、右実行委員会が本件音楽祭の準備作業を行い、被告加藤が右実行委員会の委員長を務めることになり、原告は本件音楽祭開催に要する支出について最終的な決済権限を有することとなった(乙二、証人武井及び弁論の全趣旨)。

(6) 平成四年七月下旬ころに開催された理事会では、本件音楽祭の費用総額は六億二〇〇〇万円くらいになるとの話し合いがなされ、原告も、本件音楽祭の準備作業が先行して財団作りが後追いした形になっていたこともあり、費用の増額もやむを得ず、協賛金や広告料をあわせれば六億円はなんとか集められるだろうとして、今後、六億円以上の収入を確保する努力をするという方向づけがなされた(甲二七、乙二、八、証人武井及び弁論の全趣旨)。

(7) 平成四年九月、長野県松本市で本件音楽祭が開催され、それまでにデザイナーである和田エミに対し、オペラの衣装の制作費として二〇〇〇万円、デザイン料として二〇〇万円が支払われていたが、さらに右デザイナーが見積もり(衣装制作費は一九五〇万円(甲二一)を越えた増額分である五一七万余円の支払いを要求し、これに対し、原告が右増額分と未払デザイン料五〇万円はオペラ上演後に支払うとしたところ、右デザイナーは右支払いがなされなければ衣装を引き渡さないと主張するというようなことがあった。原告は、被告加藤に対し、右はデザイナーの駆け引きであるので、呼応せずに説得するようにいっていたが、被告加藤は、右金額に加え、請求書を提出していなかった一一六万余円も加えて自ら立替払いをした(甲七、乙二、九ないし一二)。

また、訴外財団が、航空会社から運賃を全額前金で支払うよう請求されたのに対し、原告は、航空会社が本件音楽祭のオフィシャル・エアラインになっており、ある程度の遅滞は商慣習として許容されるとして、その一部のみを支払おうとしたため、右航空会社からこのようなことであれば訴外財団をブラックリストに載せることもあるとの警告がなされた(甲七、乙二)。

(8) 本件音楽祭の会計収支は一億四〇〇〇万円程度の赤字となった(原告本人)。

なお、原告は、平成三年三月、小澤に対し、少なくとも五〇億円を集めてみせると豪語したようなことはないと供述するが、右当時、原告は、小澤から五〇億円から一〇〇億円くらい集まらないかといわれた上で、訴外財団の設立に手を貸すことにしたものであり、同年六月には山梨県出身の財界人グループから一〇〇億円程度の基金を形成できる旨考え、とりまとめの相談をしていること(甲一四、原告本人)及び小澤との右会見に立ち合っていた証人武井の証言に照らすと、前記(1)認定の内容の原告の発言があったものと認められる。

以上の認定の事実に照らすと、本件記事において摘示された事実のうち、原告が、平成三年三月に、小澤の財団なら一〇〇億円は集めたいが、少なくとも五〇億円は集まるであろう旨の発言をしたこと、その後、目標額が短期間で下がったこと、原告に近い人間に寄付金として集めることのできるであろう金額で賄える予算を作らせ、小澤に右予算内で本件音楽祭を行うように求めたことなどはその主要な部分については真実であるということができ、また、衣装デザイナーが衣装をすべて引き上げたことや航空会社が訴外財団をブラックリストに載せる準備に入ったとの事実に関しては、衣装デザイナーが衣装の提供を一時的にしろ拒絶したこと、訴外財団と航空会社との間でブラックリストに載せるかもしれないとのやりとりがあったこと、これらが本件音楽祭開催に必要な支出について決裁権を有していた原告による意識的支払拒否によるものであったこともまた真実であると認められるから、右各摘示事実の主要な部分は真実であったということができる。

(三)  ところで、被告選択出版は、前記摘示事実に基づき、原告を「財団屋」、「音楽家の理想に全く耳を貸そうとせず、逆に、財団設立のエキスパートとしての保身にばかり汲々とするのが「O」の正体であった。」、財団を「私物化した」等と論じているものである。

本件記事において摘示された事実の主要な点が真実であることは右にみたとおりであるにしても、右事実は、本件記事の掲載された平成七年五月から三年ほど前の平成四年当時の本件音楽祭に関連した出来事にすぎないうえ、前記認定のとおり、平成四年七月ころ、原告や被告加藤ほか訴外財団の理事及びサイトウ・キネン・フェスティバル実行委員らによって、原告を中心として本件音楽祭の開催に必要な六億円を集めるよう努力する旨の話し合いがなされたものの、その後、本件音楽祭の開催にあてられる寄付金額(寄付予定のものを含む。)が六億円に達しそうになかったことから、サイトウ・キネン・フェスティバルについての助成財団ではなく、サイトウ・キネン・フェスティバルを行うことを主たる目的として設立したばかりの訴外財団を運営する立場として、原告が、右寄付金額内で本件音楽祭を行うように小澤やサイトウ・キネン・フェスティバル実行委員等に求めること自体は、非難し難い点があるということができ、また、衣装の支払いについて原告が意識的に拒否をし、その結果、衣装デザイナーが衣装の引渡しを一時拒絶したとの点についても、予算に計上された金額を超えていることを理由に、その一部について事前の支払を拒否したという事情が認められるところ、被告選択出版は、自ら本件記事は、「高い芸術的理念を掲げる小澤と財団設立のエキスパートとしての立場から予算の範囲内で財団を運営しようとする原告との意見対立を主要なテーマとしたもの」であると主張しながら、本件記事の取材過程において、一方当事者である原告に対する反対取材活動を行わないまま(原告に対する取材をしたことを認めるに足りる証拠はない。)、前記の事情を捨象して、前記摘示事実から、原告を「財団屋」、「保身に汲々としているのが正体である。」、財団を「私物化した」などと評することは、摘示事実との間に乖離、飛躍があるといわざるを得ない。

また、本件記事は、訴外財団の適正な運営に関連するものとして、公益性がないとはいえないとしても、被告選択出版の意図は必ずしも明らかでないが、前記第二の二3でみたような訴外財団の運営をめぐる直近の出来事ではなく、もっぱら原告の平成四年当時の訴外財団設立前後にわたる行動を摘示して、平成七年四月現在も理事に就任していることが小澤の日本での音楽活動の真の機会を奪うものとしているのであって、直接的には原告個人を非難するものというべきであり、主として公益を図る目的に出たものとは断定し難いというべきである。そうすると、被告選択出版は、本件記事により、原告の名誉を毀損したものというべきである。

3  被告選択出版の行為によって被った原告の損害についてみるに、本件記事において摘示された事実は主要な点において真実であると認められること、本件記事全体からすれば、芸術家小澤と実務家原告のそれぞれの考え方が対立していることが争いの根源であることが容易に読みとれるのであり、多数の読者もそのような背景の下の記事として多面的な理解や評価が可能であると考えられること等からすれば、原告に対する慰謝料としては一〇万円が相当であり、また、謝罪文を掲載することの相当性があるとは認められない。

二  被告加藤に対する請求について

1  訴外財団の寄付行為によれば、理事は理事長を補佐するものとされ、理事長は理事会を召集するとされているところであるが、理事には理事会等を延期する権限は認められていない。そうすると、理事長である被告加藤の意向に反して原告の行った開催延期の通知は、理事として権限のない行為を行ったものであり、理事長を補佐するという理事の義務に反する行為であるということができる。原告は、理事長である被告加藤が違法行為を行ったことをもって、理事長が正当な業務を遂行できない場合に該当するとし、理事がこれに代わって行える旨供述しているが、右違法行為の具体的内容は明らかではなく、理事長である被告加藤が右違法行為を行ったことを認めるに足りる証拠はなく、仮に、そのような行為があったとしても、それは適法に開催された理事会及び評議員会において追及すべきものであって、理事会及び評議員会の開催を延期したり阻止したりするという手段によるべきとはいえないものであるし、前記第二の二2でみたとおり、原告の行動は、もっぱら、理事長である被告加藤との意見対立から理事を解任されることや再任されないことを防ごうとする意図でなされたものであると評価されても仕方がないというべきであり、被告加藤の第一行為は、被告加藤による理事会及び評議員会の開催通知の送付に先手を打つ形でなされた原告の右行為に対し、被告加藤が右開催通知に添付した書面において、原告の右行為に言及して、右行為は寄付行為に定める理事の理事長を補佐する義務に違反し、また、役員たるにふさわしくない行為に当たると指摘したにすぎないのであり、そのことにより、原告の名誉ないし名誉感情が害されたとは認め難い。また、右第一行為は、原告の右行為に対応してやむを得ずなされた理事長としての正当な行為ということができ、その方法や内容(記載内容、表現は前記第二の二2のとおり)においても、被告の右行為と均衡を失しておらず、不適当であったとは認められないから、この点からも違法性を欠くものということができる。なお、原告は右第一行為が、訴外財団の確立した慣行に反する等、正当なプロセスを経ずに原告を常務理事及び理事の地位から排除するという違法な目的のためになされたものであると主張するが、原告が訴外財団設立の貢献者であることをもって、原告の理事再任や再任をしないことのために寄付行為に定めた以上の手続を履践すべきとすることにはならず、原告の理事再任を拒否するには理事会や評議員会での討議のほかに別途原告を交えた各理事等との実質的な話し合いが必要であることや主務官庁による理解を得ることなどが正当なプロセスであるとする右主張は採用できず、また、被告加藤において違法目的を有していたことを認めるに足りる証拠もない。

2  本件記事が、原告の社会的地位を低下させるものであったことは前記のとおりである。しかし、被告加藤の第二行為は、本件記事が掲載された「選択」がその購読者に対し頒布された後にそれほど時間を経ることなくなされたものであること、右行為は、理事及び評議員など訴外財団の役員を対象におこなわれたものであって、右役員らは、それまでに行われた理事会やサイトウ・キネン・フェスティバル実行委員会会議等を通じ、原告と被告加藤及び小澤との確執について、「選択」の一般の読者と比してよりその真相を認識している者であるということができ、原告が「財団屋」ないし財団を「私物化した」等と評されたことについて適切な判断をすることは十分に期待できるところであるから、右第二行為によって、さらに原告の名誉が毀損されたとまでは認め難い。

第三  結論

以上のとおり、原告の主張は、被告選択出版に対し、一〇万円及び平成七年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限りで理由があり、被告選択出版に対するその余の請求及び被告加藤に対する請求は理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宗宮英俊 裁判官石橋俊一 裁判官山﨑栄一郎)

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例